
≪まほうのはこ≫
≪田所美惠子の映像は、めまぐるしいテクノロジーの加速に対するシンプルさの復讐である。誰もがわかるように、この 「子供のような 」シンプルさは、「魔法の箱 」の背後にあるビジョンの質を排除するものではない。≫ Philippe SALAÜN パリ、1995年7月5日 これは、東京のコダックフォトサロンでの初の個展に際し、フランスの写真家/プリンターのフィリップ・サルーン氏から私に贈られた言葉である。 私の「魔法の箱」は、蓋を開けると内側が真っ黒で、その壁のどこか一か所に1ミリの数分の一という小さな穴が開いている、ただそれだけだ。「レンズはないの?」、「ファインダーはないの?」と聞かれるが、私の写真に必要なのは、この箱と、フィルムや印画紙などの感光材料、そして光の3つだけ。これで写真が撮れると知ったら、デジタルネイティブ世代のみならず、大方の人がこの写真機を「魔法の箱」と呼びたくなるだろう。 だが、ブロブディンナグ国に上陸したガリバーだったら、この魔法の箱の中に入って、小さな穴から差し込む光が向かう先を見れば、その魔法のからくりに合点がいくだろう。自分の部屋の壁に穴を開けて小穴の現象を観察していたレオナルド・ダ・ヴィンチがそうであったように。あるいは、雨戸の節穴から入った光が障子に富士山を逆さまに映し出す様子を描いた葛飾北斎の「賽穴の富士」の登場人物たちも然りである。 この箱の穴を被写体に向けて待つこと数秒から数十分、一瞬で過去を切り取ることができない魔法の箱は、フランス語の時制でいう「半過去」のような、ゆるやかで曖昧な時間とぼんやりとやわらかな輪郭の画像を閉じ込めたまま、暗室に持ち込まれる。 現像という手間暇と、ワクワクドキドキする待ち時間を経て私の前に立ち現れる写真には、当初は初対面の人と出会ったかのような印象を受ける。だがじきに、撮影時まで記憶が巻き戻されるころ、「魔法の箱」の中で起きた想定外のことに気づかされる。 あらゆる最新映像機器の原点に位置するこの写真術の名は針穴写真、「魔法の箱」は針穴写真機。テクノロジーとはほとんど無縁のこのカメラは、ほとんど何もないに等しい存在だが、レンズの堅苦しいルールや法則から解き放たれ、何にでも挑戦する自由を与えてくれる。シンプルだからこそ魔法をひねり出してくれるこの写真術は、私にとって愛すべき「魔法の箱」なのである。

Portrait of Philippe Salaün by Mieko Tadokoro